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すずらん通りにある文房堂。いろいろな画材がそろう店として知られているけれど、それだけじゃありません。実は絵の具をのせるパレットの親指を入れる穴(サムホール)の大きさは、この店が決めたものだってご存知でした? ほとんどの人が一度は使ったことがあるポスターカラーやキャンパス(大学)ノートという名前も、ここが名付け親なのです ←親指用の穴がある絵具箱で、パレットとしても使えるタイプ。
文房堂は1887年(明治20年)、文房具&画材店としてスタートしました。このころヨーロッパではセザンヌやゴッホ、モネといった才能あふれる画家達が活躍し、日本でも東京芸術大学の前身である東京美術学校が設立。西洋画への意識が深まっていた時代です。そんな中、文房堂が最初に手がけた大仕事が、絵の大きさを決める木枠やスケッチ板などの規格を「尺貫法」で設定したこと。1892年(明治25年)のことでした。これが日本の油絵の号数規格になり、その後、文房堂から日本初の国産キャンバスが発売。洋画筆、エアーブラシなど誰もが知っている基本画材も、このころ文房堂がつくったオリジナル商品です。
1920年(大正9年)に文房堂から発売された日本初の専門家用アーチスト油絵具は、当時の値段で1本1円60銭(コバルトブルー)。カレーライスが10銭で食べられた時代ですから、これはかなり高価でしょう。しかしそれまで使われていた輸入画材はもっと超高級品だったので、画家たちは皆大喜びしたとか。石井柏亭や梅原龍三郎といった画壇の重鎮達も、この絵具をこぞって絶賛し、当時、直筆で感謝の言葉を寄せたものが、今も残っています。1925年(大正14年)には図案用絵具をつくり、ポスターカラーと命名して発売。1935年(昭和10年)には専門家用アーチスト水彩絵具を完成。以降、現在までに数多くのアートグッズを世に送り出してきたのです。
↑1921年当時の文房堂アーチスト油絵具チューブ。左から十號(10号)チューブ、五號(5号)チューブ、スモールステュディオチューブ。
↑石井柏亭氏のポートレートと文房堂に送られた文章。文房堂アーチスト油絵具使用感想文章より。
→現在の文房堂アーチスト油絵具チューブ。左から2号、6号、9号、10号、20号、30号チューブ。
現在も有名画家はもちろん、石原慎太郎都知事などの著名人も数多く訪れる文房堂。神保町本店は1922年(大正11年)に建てられ、その後リニューアルを重ねながらも、歴史を感じさせる外壁は市民の強い要望もあって、そのまま残されています。
千代田区神田神保町1-21-1 ・03−3291−3441
↑石づくりの趣ある建物は大正11年のもの。向かって入り口左側、文房堂の文字の上の青年像がトレードマーク。